浦島太郎と鶴の恩返し

何かを象徴するかのような二つの昔話。
どちらもかごめの唄に登場してくるのが共通点。

カゴメの歌でほどかれ始めている解釈。
亀は男性性、鶴は女性性だと言われている。
はて、これは一体どういう事だろうか?

浦島太郎は良心の象徴。
亀は出る杭は打たれる自我の象徴。
鶴は犠牲の象徴。

私の中ではこのように感じる。

浦島太郎の話では、
あの世は時間で区切られていない事を指していて、
玉手箱を開けてはいけないと言われたのは、
肉体が有限であるかのように感じても、決して
それに惑わされて、どれくらい経ったかを気にしたり、
打算や比較や競争に囚われてはいけないということ。

鶴の恩返しで描かれていた
見てはならないとする恩返しの行為は、
自分の身を削っても見返りを求めようとしない、
評価されようとも思わない無償の心を表しているように思う。
また、それらの行為を見せても、その時点で価値は無くなる
という意味も同時に含まれているようにも。

かごめの歌に登場する二つの動物。
この話の辻褄の合いようは、はたして偶然だろうか。
祈りのような望みを託され、語り継がれてきたとしか思えない。

伊勢神宮の石灯篭には、イスラエルの六芒星(エキサグラム)が
刻まれているという。
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# by princessaroma | 2009-05-24 14:22 | 枕元の草子

ぼたん園

町田ぼたん園に行って来ました。薬師池公園の蓮園を左手に見て
そのまま左折後、なだらかな丘を登ったところにありました。距離は結構あって、
薬師池公園からは徒歩で12、3分以上掛かったと思います。
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くだらないと思いつつも「エマニエル。。」と浮かぶ人達、どのくらいの割合で居るのでしょうか。
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今日、見た中で一番印象に残った牡丹。名前は「長楽」だそうです。
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開園期間は5月6日まで。閉園時間は16時です。今日はギリギリセーフ。
まだ牡丹の種類は沢山ありましたが、カメラの電池切れで撮れたのはここまで。
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# by princessaroma | 2009-04-19 18:59 | お出かけ

破棄

チャクラの活性化が馬鹿でかい共有フォルダに入ってる
今まで読めなかった人のファイルにアクセス可能となる変化、
というところまでは整理がついている。

そうすると、やっぱり聖書の神は、最終的な神ではなく、
人間を支配できるくらいの力は持っていた神、という事になる。

別に神と呼ばなくていいかもしれない。
意識でも何らかの衝動と表現しても構わないのかもしれない。

何らかの方向性が書いていたメモ書き。
たとえそのファイルが読めていても、その通りにする必要もない。
ましてや、興味をもつ必要もない。

その通りにしなければならないと言う思いは、
逆に善悪の罠に再び嵌る事になる。

本当の真理はやはり仏陀が答えを出していて、
フォルダには本来何も入っていないのがデフォルト。

そのフォルダに食べ物への興味や異性への興味や健康への興味、
それらへの興味を持ち続けるのも、失うのもやはり自分の中でしかない。

投げかける、何をする、どういう風にしてゆく、
これら全てはやはり人のフォルダに勝手に侵入して
自分の趣味を強要させる事と変わりない。

元々は空のフォルダなのだ。ただそれだけ。それだけしかない。
言葉も何もない。言葉をどういう風に感じる事もない。どういう風に感じれる言葉もない。
絵も何もない。絵をどういう風に感じる事もない。どういう風に感じる絵もない。

神が居るか、居ないかの話でなくなる。
自分にとってそのような影響を持つ対象かどうかだけ。
また空のフォルダに何を入れるのも自由。
それを禁じるのも善悪の罠に嵌る。

やはりHDDは最後には消える、世界があると思っているのは、
自分にとっての神ですら、世界があると思っているのに他ならない。

その神は隣人だとしてもいい。その神は本当にそのように力のある者でもいい。
ただ、その存在ですらも、善悪の罠に嵌っているといずれかの方向性を示してしまう。

何をする必要性も無ければ、何処に行くこともないのだ。
ただフォルダの共有性にある日気づくことは要らぬ方向付けをされてしまう恐れもあるが、
逆にそんなに興味の沸かない事を無理やらされていたと我に返るメールが見つかる事もある。
何千、何万と交わされた宙を舞うメールによって実は自分が作られていた事を知る過程で。

想念の幻想。湧き上がる思いの幻想。
周りがボクサーだらけの環境なら、スピリットもボクサーのようになる。
逆に周りが母性愛に満ちた、身も心も満たしてくれるような環境なら
してもらう事が普通になる。

生きるという事は、ともすればはじめから、選ぶ事も捨てる事も
白紙にして考えられない永い妄想かもしれないのだ。

聖書にしても、創世記にしてもそう。
そこにそう書かれていたからといって、その通りだとは限らないし、
そう信じるのも自由であれば、疑うのも自由。

でも、それもやはり嘘と本当のどちらでもない幻に対し、
信じるか疑うかをしているだけで、空のフォルダにはなりきれてないのだ。

ある事を思い込まされた者がいたとする。
それは本当に価値があると感じられ、とても安らぐような満ち足りた思い込み。
それこそが真実で、そこに行く事が最終だと言う思い込み。

そしてその大きな者はそれを周りに広めようとする。
それが本当かどうかではなく、それすらも幻だと言う事を考えないうちに。

広められた人間は、それを神の声だと思う。
神の言う事を聞かないと大変な事になると思う。

でもそれは幻によって作られた更なる幻。
もしかしたら、神様に怒られるかもしれない可能性はあるだろう。
でも、神様が怒っている原因ですら、何かの見間違いだった可能性はあるのだ。

それが神様にとっての更なる神様が見せた我侭だったとしても。
怒られるなら、怒られるでいい。その怒りも幻だから。

最後の要は、本当だろうが嘘だろうが100年続けば人の人生。
ずっと周りが嘘しか言わなくても、その人の人生の中では本当なんだ。
捨てるのは、もはや本当でも嘘でもない。今の状態を捨てれるかどうか。
自分が惜しいかどうかだけにかかってくる話。



捨てろ、とも云ってない。捨てれるタイミングが来たときに
あなたならどうしますか?と振ってみただけの話。

さっきまで目の前にあったはずの携帯電話が忽然と姿を消していたら、
たいていの人探すでしょ。気になって探し続けちゃうでしょ。

昔、携帯電話無かったよね。携帯に殆ど記録が無くてあんまり使わない人は
この際だから、契約も終了してしまえばいいやって思えるんじゃないかって。

べつに携帯の事を話してるんで無くて、契約も終了しちゃえばって云ってるんじゃなくて
そういうときどうすんのかな?って思って。

例えば、誰でもあることだけれど、死ぬって事とかさ。
携帯が見当たらない、と焦る瞬間と同じなんじゃないかと思ってさ。
別に西暦の話をしてないよ。別にいつ何があるって云ってないよ。
そんな風に書いたら、それが過ぎたら普遍的じゃなくなるからね。
人によってそれがいつかはわからないけど、直前に言うよりも
前々から言っといた方がいいかなと思っておせっかい焼いちゃった。

突然、直面してしまうより、日頃からそんなこと考えていた方が
その時になって慌てなくても済むかな?って思ったんだよね。
もう考えてるんだったらごめん。失礼な事しちゃった。

ただ、今まで誰もが死んでったから、誰もが携帯を無くすときがあるってこと。
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# by princessaroma | 2009-04-18 20:32 |

キャラが被ってる二人。

キャラクター設定が被ってる80年代を活躍した二人の女性。
中学時はどちらもファンでしたが、音楽的にはティル・チューズデイはさほど熱くはなれず。
一枚だけ「最初のアルバム」を持っていた程度。でもこのヒット曲は結構、今でも聴ける。
もろにニューウェーブの音ですが、チープなシンセとエイミー・マンの気の抜けたような
ぼんやりしたVOが空虚でひんやりとした感傷に浸らせてくれます。でもほんともっと声出せよ。
グラハムボネットみたいに喉に力入れて歌え!(演出上の相違。) - 参考資料 -

・ Til Tuesday - VOICES CARRY
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そして全く同じキャラクターを狙ったかに見えるROXETTE時代のマリー・フレデリクソン。

・ Roxette - Dangerous
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この世界デビューのアルバムが1988年に発表された時、私は中学の1.2年でしたが、
ポップスにもこんな「格好のいい」人達がいるのだ、と非常に格好の悪い事を思う事が
可能だったのですよ。このアルバムは当時、私には斬新に聴こえたのですが、その後の
アルバムに比べると今でも全然、古さを感じません。80年代特有な、音のスカスカ具合が
心地いい。万人にはお勧めしません。薦めるなら自分にだけぐらい。と言っても言うほど
聴いてるわけでもないんですけどね。持ってるだけで捨てる必要性に駆られてないだけだったり。


でも80年代によくあったこのキャラクター、一体、誰が元祖なんでしょうね。
意外と演歌の花道に居る人だったりして。
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# by princessaroma | 2009-04-18 15:56 | レビュー

受精

辻褄が合う言葉を見つけた。

地球に向かう「精子」は「意識だ。」。
地球は「卵子だ。」

人は大きなひとつの心だ。
宇宙は大きなひとつの心だ。
融解して混ざり合ってどちらがどちらだか
どちらから発信されたものかもわからなくなる。

これで問題ない。非現実的ではない。常識タイプもひと安心。

むしろ何もないところからは何も創造出来ないという考え方が自然
かもしれない。なにも無いのは概念なのだけれど、今は湧き出る泉がある。

人間の想像力はそのまま創造力。
これはやはり人間が発信者というよりはむしろ受信者だ。

人間だけが受信者なのか。いやおそらく全ての生命が受信者に成り得る。
猿やゴリラだって色んな物を作れるのだから。ひらめきが紐解かれる。
反応の良さとして、この地球では人間が目立つだけだ。

暦の作成したって、いくら人間が太陽が顔を出した回数を数えて、
冬の終わりを肌で感じたときに、それまでの合計数を均等に割ったからといって、
その探求心すら、受け取ったものかもしれない。

受精が意識の流入だとするならば、やはり精子を出してくれる人は
肉体ではない。霊の存在だ。これで辻褄が合うぞ。何も滑稽で無いので、
常識人タイプもひと安心。

でも、宙を伝うような「意識」があることをまだ知らない場合、
おそらく、受信者に「穴」を開ける必要がある。

精子を受け入れる「穴」。きっとそれがチャクラだ。

私が気になった箇所は胸(ハート)、首の後ろ、あと脳みその真ん中らへんと頭頂。
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# by princessaroma | 2009-04-18 12:45 | 枕元の草子
もちろん、嘘ですとも。だって今日は土曜日なんですから。
いや、むしろ土曜日と言うのも嘘でないかい?

だって創世記が始まったとき、
誰も神様からは直接は聞いてないんですから。
7日目にひと休みを入れるってこと。
一週間の最初の月曜日が7日目の翌日になるってこと。

そして、それが言葉にされたこと。
その言葉が人間に保存されたこと。
その言葉を使って意識を交換する手段にしたこと。

太陽の動きを見れば、わかる。
四季の移り変わりを見て、ある程度のサイクルがあること。
それがどうやって数で管理できるようになったのかはわからない。
それがどうやって12に分けられ、そのひとつずつは
30前後に区切れば丁度よかったのかも。

それが果たして人間が計算できたのかもわからない。

人間は猿から進化したというウソ?

わからないけどそんな気がする。だって猿はまだいるじゃん。
猿から進化したなら、もうちょっとあらゆる面で似ててもいいのに、
ちょっと違いすぎる。

突然、何かがあって変わってしまったかのよう。
こんなに歴史があって、こんなに文明があって、こんなに思想が生まれ、
こんなに理知的でもあって、こんなに霊を語ることもできる種族は
他の動物を探しても見当たらない。

人間以外にも、もっと人間に酷似していて創造が出来るような動物が居てもいいはずだ。
簡単な砂山とかじゃなく、もっと緻密で難しいものだったり、アンティークだけれど
美しいものだったり。でもそんな事が出来るのは、今のところ人間しかいない。

これはどういう事だろう。
せっかく、ここまで考えを詰きつめれたのに、
せっかく「自分は居ない」というところまで来れたのに、
もしかしたらここにきて外部からの干渉があったという振り出しに戻るの?

やっぱり、認めたくないけど神様は宇宙人だったという話に戻るの?
宇宙人という言い方は地球人のものだけど。。。

「自分が居ない」はずの真理が、また崩される。
いや、まてよ。

宇宙人と言われている存在だって「自分が居ない」のを認めたうえで
こちらを見ているのかもしれない。
周りからの影響で「自分が成る」スタイルを認めたうえで
人間を意識的に作ったのかもしれない。

「自分が居ない」ことをわかっている宇宙人から作られ、
人間が「自分が居ない」ことにきづく。この部分を見てるのかな?

でもやはり作ったのだとしたら、何かしらの方向はあるはずだ。
きっかけや目的があった方が人間を作った理由としては自然だ。

それは何の為か。


・・・ひとつの仮説を立ててみる。もし人間の受精に似たような作業、
または手術のようなものがあるなら、それは他の生物にも応用できる。

もし死んだ後の機会以外に生命の意識に理解の変化を促す事ができる作業が
あるとするなら、仮説として宇宙人の「受精」があるなら、新しい血が混ざる、
という意味で有効だし、逆に宇宙人なんて胡散臭い、非現実的だ、と捉える方が
今までの長い常識に染まっていて、羞恥心で保守的になっているだけの気もする。

いずれにしろ、少数意見だから非現実だと直結させるのは少し早合点だろう。
多数じゃないから、少数に移るのは恥ずかしいと言う気持ちが芽生えるのは
想像に容易いが。

では何故、そのようなことが必要か。理解をさせる為?意識を広げる為?
宇宙人と言われている段階はまだはじめで、その先の存在へ
理解を促す為?それしか辻褄が合わない。でもこれで人間がうまくゆけば、、、
その、うまくいくというのは、つまり理解させることに成功すれば、
おそらく他の動物にも同じことをして更に心の理解を広げる作業ができる。
その第一段階として人間がいるように思える。心はもちろん動物にもある。
動物だからと言って、動物の心の容器は必要ないと考えるのは不自然。
もしこの流れが本当だとしたら、動物だった猿が人間へと変身させてもらえた
ように、他の動物の心に対してもそれが有効に適用されるはず。


なので心の作用によって
動物はもっと人間のようになってゆく。より霊に理解が増してゆく。
より回路が霊に近くなってゆく。人間らしくなった動物を見て
人間の心には更にゆとりができる。まるで伝染するかのよう。
優しい誰かがそばに居るだけで、いつもより優しくなれるのに似てる。

いずれにせよ、一問去ってまた一問。。。
聖書にせよ、創世記にせよ、なんでもユダヤ教が権威獲得の為に
後付けでシナリオ作ったと言いたい説があるのもわかるのですが、
動物と人間の許容量の違いを考えると、何も考えず妄信的になれと
言われても無理だし、考え始めるとやはり外部的干渉があったのか、と
考えてみた方が話に無理がない。
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# by princessaroma | 2009-04-18 04:53 | 枕元の草子

素の俯瞰

自分も含めた周りの構成で成り行きが決まってゆくのだとしたら、
むしろ周りの構成も自分だと言える。

それらが組み合わさって性格が出来たのだから。

つまり自分の身体を単位にして、表皮から内側が自分です、
とは言えない。

とすると要は
認識してしまうもの全てが自分だ、と言い換える事が出来る。

綺麗な風景を見て感動しているのが自分ではなく、
その影響を与えた風景すら自分。

これが自他同一だと思っている。

更に進めると
認識した生命を物質単位で捉えてしまう思い込みから
自分に取り入れたい、と思う衝動を恋だと感じている。

これは何も異性を対象にした話でも人間や生物を対象にした話でもない。

車に恋する。ヴァイオリンに恋する。
ジュエリーに恋する。洋服に恋する。

これらも一時的に作られたものを取り入れんとする衝動に感じる。

私は自分の感情の変化を省みるにあたり、恋はいずれにせよ心を揺さぶると思った。

プラスもマイナスも関係なく、増えたにせよ減ったにせよ
そのまま素直に定位置のゼロには戻ってくれない。

ちょっと動いただけでもその後、なかなかニュートラルには収まってくれない。


以上の実験結果からこう言えるであろう。

僅かな私欲がある限り、その僅か分以上は不機嫌になる。

ましてや愛猫や愛犬に先立たれて、いずれ天国で
お礼を言いたいと感じてるなら、それは幻の上に幻を重ねてるに等しい。

確かに可愛い。
でも、可愛いと思っているのは自分も含めて可愛いと認めているからである。

確かに別れを告げる事は可能である。

でも、用意された別離の舞台でさえ自分の願いが作り上げた幻想である。

つまり、別れを言いたいと思う感情すら
それまでの成り行きで造られたもの。

全てが消える。

視界上で滅びるのではなく自分の中だけで静かに消える。

理想郷も、光のイメージや影のイメージさえも。

自滅。
そしてこの「ジメツ」と言う語感さえ、
「自」と「滅」と言う全く語感の異なる音および文字が大多数の使用によって
それが保障となり、共通の言語として交換されてきたものである。

自滅。

この文字に感傷を感じる者が受け取る余韻も、その雰囲気の定義すらも
自滅。

そして再び書いたこの文字に感傷を全く感じないという当人内での認識すらも
自滅。

感じること、感じれないこと、そしていずれかへの共感も
すべてが自滅。

「あ」をどうして「ア」と読むのか、何故、そんな音を出し始めて定着したのか、
それに納得してるのか、考えないだけか、そしてそのどちらに対する私の印象すらも
自滅。
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# by princessaroma | 2009-04-17 22:07 |